2009/02/27

「何を届けたくて演劇を作っているのか」

24日、シアターコクーンで『ピランデッロのヘンリー四世』を観る。
演出・白井晃、主演・串田和美。
ピランデルロの『エンリコ4世』のトム・ストッパードによる英訳からの翻訳劇。

原作を読んでいなかったのが、観劇後、是非読もう!という気になった。
翻訳もので原作を読みたくなるのは、良い演出の証拠だろうか。

現代版的な演出は大嫌いだが(どこかしら、ある昔の人気TVドラマを装ったようなところがあった気がしてならない)、ひとつ、ずばりと刺さるメッセージを受け取る。


「自分のために演じるんだよ」


周囲の思惑をよそに、実は病は治り、狂気を装いつづけていた男。
12年の間ヘンリー四世として生きてしまった空白は、もはや埋められるものではない。
仮面をかぶることが、すでに自分にとっての真実である。
そうして、死んだ仮面は生身の自分を守ってくれる。

虚構は真実の一部として存在するということ、正気は一種の狂気であることが、くるくる変わる視点の転換によって示される。

ふとポスターに惹かれて見に行った劇だったが、串田和美のヘンリーが渋い。
「この男、正気なのか狂気なのか。」

演じるという狂気、演じ得るという正気。


ひとりで芝居を見て帰っていく「スーツの男性」を見かけたりすると嬉しい、というのは串田の言。
この芝居、演じ疲れたサラリーマンだったら、ちょっと泣いてしまうかもしれない。