オデオン座にてC. シャレッティ演出の『ピロクテテス』。
Philoctète: Laurent Terzieff
Néoptolème: David Mambouch
Ulysse: Johan Leysen
etc.
広い舞台の額縁部分にバーンと一枚、銀板の幕が下りている。
筋がはいっているので、そのうちピロクテテスが岩山から出てくる頃に開くのだろうと思っていたら、最後の最後までそのままで、あと10分のところで、ヘラクレスが登場する時にようやく後ろへ向けて開かれた。(”神々しさ”はこれで演出されたと言えるのだろうか?)
パンフレットには、古代ギリシアさながらに”前舞台・オルケストラー・スケーネー”を分けて演じさせた”境界の悲劇tragédie du seuil”、などと書いてあるが、はっきりいって単につまらないだけのセノグラフィである。
いろんな人が寝ていた。寝ないけれども気持ちは分かる。
なにしろテルジエフに魅せられてしまっていたので、こちらは寝るどころではなかったが、その他の俳優にテクストを”言う”以外の演技が要求されていないため、えらく単調であった。
すべての年季のはいった観客がテルジエフのみのために集まっていると考えてもおかしくないような芝居だった。
それだけ他がつまらず、それだけテルジエフが素晴らしかった。
彼だけ別の空気を吸って生きている、というのがピロクテテスという役柄からのみならず、俳優そのものから匂い立っていた。
一人きりで生きてきた人間。純粋ゆえに奇妙にひねくれてしまった心。
枯れ木のような身体と病的な動きがそれを体現している。
テクストを書いたJ.-P. シメオンも、演出のシャレッティも、ピロクテテス=テルジエフという定式を信じたらしいが、その点は本当に成功したのだろう。
彼を見るためだけにそこにいたが、確かにそれでも構わなかった。
途中からある考えが浮かんで離れなくなってしまったが、まあ実現はないだろうな・・・
果たしてこの老いたテルジエフほど、ベケットの『エンドゲーム』に出てくるHammをうまく演じられる人間がいまこの世に存在するのだろうか??
そのものだという気がしてならない。
おそらく『ピロクテテス』を読んだシャレッティやシメオンも同じように感じたことだろう。
いたわしい人間の孤独を体現したような人なのだ。
2009/10/20
2009/10/18
"Nous sommes incapables de représenter".
面白いものを見たという確信は、泥沼的な日常に差しのべられた力強い手だと感じる。
それが何か自分の抱いている漠然とした疑問に応えてくれるものだからではなくて、
疑問そのものを肯定してくれるような場合に、こういうことが起こる。
面白い芝居とは、ある問いの提示だということなのだと思う。
それが観客には一種、天啓のように受け取られる。
一番最近に見たFrançois Verretの"Do you remember, No I don't"は、まさにそれだった。
ハイナー・ミュラーのテクストPaysage avec argonautes(アルゴ船員のいる風景)をきれぎれに響かせながら、荒廃した世界の断片的風景が眼前に投げつけられる。
灰を拾う異邦人、車椅子の老人、巨大な照明機材(スヴォヴォダだった)とシーソーをして戯れる青年(”わたし”と”機械”とどちらが本当の身体を持っているのだろう?無機物と有機物の美しすぎて不思議な均衡)、高層ビルの谷間で踊り続ける若者、ばかげて明るいテレビ司会者、病院から抜け出したような白衣の少女。
モンタージュされた風景に、通奏低音のような狂気のノイズを奏でるピアニストが加わる。
実際このピアニスト(Sévrine Chavrier)は目を見張るものがあって、演技と音楽を完全にものにしている。
ピアノを壊す勢いで長い長い弦を木片で弾いたり、うめきながら至るところを叩く狂乱の最中に、ほんの一節、鍵盤が高音域で奏でる小さく遠いメロディが、泣きたいくらい綺麗だった。
”世界が別の様相を帯びていた時へのノスタルジー”(Heiner Müller)とはこのことだと思う。
この人はピアノがない時でも、後ろの方に出てきてシャベルで土を掘ったりしていたが、高度に計算されたリズムで、素晴らしい生の効果音を生み出していた。
テクストを読む途切れがちな、どもった声も印象的。
感情のこもらない声で、混沌とした世界の背後から"Qui suis-je? Qui? Moi, moi, moi ..."などと響いてくる。
あるいは、"Nous sommes incapables de représenter"という明言が、観客がまさにそう感じた瞬間に、すっと降ってきたりする。
世界はもう、断片化されたノスタルジーという形でしか再現されえないのか。
現実はすでに、フィクションの領域を超えてしまったのだ・・・
パンフレットを読むと、またしてもapocalypseの文字。
どうやら今期、フランスの劇場は”起きてしまった悲劇”を再現することの不可能性や、その意義について模索しているようである。
それが何か自分の抱いている漠然とした疑問に応えてくれるものだからではなくて、
疑問そのものを肯定してくれるような場合に、こういうことが起こる。
面白い芝居とは、ある問いの提示だということなのだと思う。
それが観客には一種、天啓のように受け取られる。
一番最近に見たFrançois Verretの"Do you remember, No I don't"は、まさにそれだった。
ハイナー・ミュラーのテクストPaysage avec argonautes(アルゴ船員のいる風景)をきれぎれに響かせながら、荒廃した世界の断片的風景が眼前に投げつけられる。
灰を拾う異邦人、車椅子の老人、巨大な照明機材(スヴォヴォダだった)とシーソーをして戯れる青年(”わたし”と”機械”とどちらが本当の身体を持っているのだろう?無機物と有機物の美しすぎて不思議な均衡)、高層ビルの谷間で踊り続ける若者、ばかげて明るいテレビ司会者、病院から抜け出したような白衣の少女。
モンタージュされた風景に、通奏低音のような狂気のノイズを奏でるピアニストが加わる。
実際このピアニスト(Sévrine Chavrier)は目を見張るものがあって、演技と音楽を完全にものにしている。
ピアノを壊す勢いで長い長い弦を木片で弾いたり、うめきながら至るところを叩く狂乱の最中に、ほんの一節、鍵盤が高音域で奏でる小さく遠いメロディが、泣きたいくらい綺麗だった。
”世界が別の様相を帯びていた時へのノスタルジー”(Heiner Müller)とはこのことだと思う。
この人はピアノがない時でも、後ろの方に出てきてシャベルで土を掘ったりしていたが、高度に計算されたリズムで、素晴らしい生の効果音を生み出していた。
テクストを読む途切れがちな、どもった声も印象的。
感情のこもらない声で、混沌とした世界の背後から"Qui suis-je? Qui? Moi, moi, moi ..."などと響いてくる。
あるいは、"Nous sommes incapables de représenter"という明言が、観客がまさにそう感じた瞬間に、すっと降ってきたりする。
世界はもう、断片化されたノスタルジーという形でしか再現されえないのか。
現実はすでに、フィクションの領域を超えてしまったのだ・・・
パンフレットを読むと、またしてもapocalypseの文字。
どうやら今期、フランスの劇場は”起きてしまった悲劇”を再現することの不可能性や、その意義について模索しているようである。
2009/09/16
"Philoctète" by C. Schiaretti
O. ピィが17区のアトリエ・ベルティエで『サトゥルヌスの子供たち』をやっている間、
5区のオデオン座では、C. シャレッティが『ピロクテテス』(Philoctète)を演出する。
今シーズンは11月にThéâtre de la Villeでも、J. ジュルドゥイユ演出で『ピロクテテス』がかかる。
いったい何の偶然かと思うのだが、シャレッティはJ.-P. シメオンが翻案したものを、
ジュルドゥイユはH. ミュラーが書いた『ピロクテテス』をJ.-L. ベッソンが翻訳したものを、それぞれ演出するのだ。
シャレッティは、パリの国立高等演劇学校でJ. ヴィラールやC. レジに師事し、1991年から2001年までランスの国立演劇センターのディレクター(D. ゲヌーンの後を引き継いだことになる)、2002年から現職で、リヨン郊外Villeurbanneに移された(1972年)国立民衆劇場(TNP)のディレクターを務めている。
ふむ。
シメオンの『ピロクテテス』に関してシャレッティのインタビューを読んでみる。
"悲劇性の場としての言語"
クリスティアン・シャレッティは『ピロクテテス』で、ローラン・テルジエフを演出する。
彼自身がジャン・ピエール・シメオンに翻案を依頼した、ソフォクレスの作品。
席の予約は必然である。
La Terrasse(T) : あなたは『ピロクテテス』が型破りの悲劇だとおっしゃいます。なぜでしょうか?
Christian Scharetti(C. S.) : 悲劇という割り当てに疑問符をつけたって構わないくらいでしょう。その構造、テーマ体系、指示対象、状況において、『ピロクテテス』は型破りで不気味です。ひとつには、これは人間の悲劇だからです。次に、ハッピーエンドであり、解決できない葛藤に貫かれていない。
そしてこの悲劇はユーモアと、不条理と滑稽味に満ちてもいるからです。
T : それではどこに悲劇性があるのでしょう?
C. S. : 言語のなかです。ソフォクレスはソフィストの論法が最盛期の時代に書いたのです。ほとんどすべての台詞が二重の意味を持っています。意味を決定することはできません、まるで言語が恒常的な両義性のなかで、肯定することが可能な場ではなくなってしまったかのように。悲劇性は言葉のなかにあるというのは、言葉がうまれた瞬間から、真実は嘘になってしまうからです。言葉はセイレーンなんです。
T : ピロクテテスとは何者なんでしょうか?
C. S. : ピロクテテスは悪徳が痛めつけた人間です。毒蛇に咬まれ、苦痛と壊疽に胸をえぐられ、仲間に捨てられて、彼は人間と神とを呪います。彼の内には根本的なアナーキズムがあるのです。徳の追求を繰り返すなかで、非社交性が、彼を強情で不敬な、原初の動物的な状態に連れ戻していきます。彼は追放され、もはや戦いに再び加わることはありません。彼は自分の回想録の中での反乱を余儀なくされます。彼の眼前にはオデュッセウスが、嘘に頼ることの必要性を知っている役割の実用主義と、政治的な原動力とはなりえない怨恨を消す必要性のなかにたたずんでいます。その間を行ったり来たり、バランスがとれるまで続きます。
T : なぜテルジエフがピロクテテスを演じるのでしょう?
C. S. : テルジエフは現代演劇の世界において、特殊な地位にあります。テルジエフはピトエフなんです。『詐欺師』の神話、美しくも反逆的な若さの神話なんです。テルジエフはまた、誰にも何も負うことがないような根源的な作品を追い求めた劇団の孤独です。その根源性から観客が読み取るもののなかには、神話性と、彼の偉大さを作り上げているこの隔絶があるのです。この意味で、ピロクテテスを演じながら、彼は明らかに気高さと脆さのなかにあります。なぜテルジエフか?質問になりません。彼がピロクテテスなのですから。
(Catherine Robertによる記述)
5区のオデオン座では、C. シャレッティが『ピロクテテス』(Philoctète)を演出する。
今シーズンは11月にThéâtre de la Villeでも、J. ジュルドゥイユ演出で『ピロクテテス』がかかる。
いったい何の偶然かと思うのだが、シャレッティはJ.-P. シメオンが翻案したものを、
ジュルドゥイユはH. ミュラーが書いた『ピロクテテス』をJ.-L. ベッソンが翻訳したものを、それぞれ演出するのだ。
シャレッティは、パリの国立高等演劇学校でJ. ヴィラールやC. レジに師事し、1991年から2001年までランスの国立演劇センターのディレクター(D. ゲヌーンの後を引き継いだことになる)、2002年から現職で、リヨン郊外Villeurbanneに移された(1972年)国立民衆劇場(TNP)のディレクターを務めている。
ふむ。
シメオンの『ピロクテテス』に関してシャレッティのインタビューを読んでみる。
"悲劇性の場としての言語"
クリスティアン・シャレッティは『ピロクテテス』で、ローラン・テルジエフを演出する。
彼自身がジャン・ピエール・シメオンに翻案を依頼した、ソフォクレスの作品。
席の予約は必然である。
La Terrasse(T) : あなたは『ピロクテテス』が型破りの悲劇だとおっしゃいます。なぜでしょうか?
Christian Scharetti(C. S.) : 悲劇という割り当てに疑問符をつけたって構わないくらいでしょう。その構造、テーマ体系、指示対象、状況において、『ピロクテテス』は型破りで不気味です。ひとつには、これは人間の悲劇だからです。次に、ハッピーエンドであり、解決できない葛藤に貫かれていない。
そしてこの悲劇はユーモアと、不条理と滑稽味に満ちてもいるからです。
T : それではどこに悲劇性があるのでしょう?
C. S. : 言語のなかです。ソフォクレスはソフィストの論法が最盛期の時代に書いたのです。ほとんどすべての台詞が二重の意味を持っています。意味を決定することはできません、まるで言語が恒常的な両義性のなかで、肯定することが可能な場ではなくなってしまったかのように。悲劇性は言葉のなかにあるというのは、言葉がうまれた瞬間から、真実は嘘になってしまうからです。言葉はセイレーンなんです。
T : ピロクテテスとは何者なんでしょうか?
C. S. : ピロクテテスは悪徳が痛めつけた人間です。毒蛇に咬まれ、苦痛と壊疽に胸をえぐられ、仲間に捨てられて、彼は人間と神とを呪います。彼の内には根本的なアナーキズムがあるのです。徳の追求を繰り返すなかで、非社交性が、彼を強情で不敬な、原初の動物的な状態に連れ戻していきます。彼は追放され、もはや戦いに再び加わることはありません。彼は自分の回想録の中での反乱を余儀なくされます。彼の眼前にはオデュッセウスが、嘘に頼ることの必要性を知っている役割の実用主義と、政治的な原動力とはなりえない怨恨を消す必要性のなかにたたずんでいます。その間を行ったり来たり、バランスがとれるまで続きます。
T : なぜテルジエフがピロクテテスを演じるのでしょう?
C. S. : テルジエフは現代演劇の世界において、特殊な地位にあります。テルジエフはピトエフなんです。『詐欺師』の神話、美しくも反逆的な若さの神話なんです。テルジエフはまた、誰にも何も負うことがないような根源的な作品を追い求めた劇団の孤独です。その根源性から観客が読み取るもののなかには、神話性と、彼の偉大さを作り上げているこの隔絶があるのです。この意味で、ピロクテテスを演じながら、彼は明らかに気高さと脆さのなかにあります。なぜテルジエフか?質問になりません。彼がピロクテテスなのですから。
(Catherine Robertによる記述)
2009/09/13
Olivier Py 2009-2010
劇場でLa Terrasseの10月号をもらった。
インタビューを発見したので翻訳してみる。
相も変わらず抽象的で、とりとめがなく、論理的なのか適当なのかわからない発言だけれども、なぜか苦笑してしまい、人に元気をくれるのがこの人のいいところだと思う。
オリヴィエ・ピィがオデオン座のトップに就任して三期目にはいり、オデオン座を演劇の首都に変えていくなかで、ディレクターとして、また詩人として、多様な提案とクリエーションを続けている。
La Terrace (T): 『テーバイの七将』の成功に支えられて、劇場外での公演を続けるわけですね。
Olivier Py (O.P.): 『テーバイの七将』は、本当に小さなものであって、ひとつの試み、ひとつの仮定でした。どこででも上演できるように、ものすごく軽い劇が必要だったんです。しかしまた、野望としては大きな作品であるのと同じくらい、財政的には小さく済む計画が必要だったと言えます。この実験的な冒険において、僕はアイスキュロスの全作品を演出したいと思ってるんです。初めの一歩があまりに熱烈で感動的だったので、続けるしかなかったんですね。これは、アイスキュロスの中に芸術表現の対象を見出したという社会文化的な計画ではありません。むしろまったくの逆でして、このことこそが計画を成功に導いたのです。
T : オデオン座に来て以来、あなたと観衆との関係はどう変わりましたか?
O.P. : 僕は、脱中央集権化のなかで学んだものと共にやって来たのです。国民教育省や組合との関係を再活性化しなければなりませんでした。また、僕らは出版社やINA [フランス国立視聴覚研究所] との結びつきも広げました。割引料金を奨励するような価格形態も設定し、それによってこの劇場が単に消費の場ではなく、講演会や討論のある市民生活の場となるようにしています。僕は、オデオン座が本当に自己を、互いを再発見するような場であってほしいんです。アトリエ・ベルティエに関して言えば、あの界隈で唯一の文化発信の拠点であるわけですが、ここでも上演の時間外にさまざまな活動を繰り広げていくつもりです。
T : 2009-2010年のシーズンは、何らかのテーマをめぐって構成されているのですか?
O.P. : テーマごとのシーズンという考え方はいつもものごとを単純化してしまいます。それはともかく、劇場というのはひとつのスポンジで、世界の議論を吸いこむものなのです。この観点からすると、政治的な問題が今シーズン至る所に張り巡らされていると言えます。まるで今年は、世界という意識がより一層高まっているかのように。しかし極めて重要で、中心にあるのはヨーロッパ的な計画で、ディミトリス・ディミトリアディスという主要だけれども知られていない、この偉大な作家をめぐって構成されています。
僕はひとつのシーズンが、たとえば古典的な形態、規律を乱すような形態、古いものや新しいもの、ヨーロッパの作品やフランスの作品を織り交ぜた多様性に特徴づけられるようなものであるように願っているんです。
T: 今シーズンは『サトゥルヌスの子供たち』で幕をあけますね。この新作についてはどうですか?
O.P. : これは僕の呪われた芝居です。人は時として、自分自身のもっとも黒い部分に近づくことがあるものです。僕は、『イリュージョン・コミック』という喜劇から脱しました。もう笑いには耐えられなかった。
『サトゥルヌスの子供たち』は、今日のフランスにおける偶像の凋落に言及しています。この芝居はひとつの文明の死を語るのです。僕はいくつかのフランス的日常が失われていくことに、強い衝撃を受けました。それらは政治とのある関わりの消滅や、僕自身が傷つきながらも歩んできた文学というものの上に成り立つ世界の消滅を表す、時代の象徴のように思われました。このテクストは難解で、不快で、乱暴で、終末的な芝居と言えますが、陰鬱でありながらも絶望しているわけではありません。
T : それほどの暗さのなかで、希望はどこにあるのでしょうか?
O.P. : すべての惨事において、何かしら明らかになってくるものです。僕は思うのですが、ヨーロッパの未来はそのようにして、南北の対話の中にあるのです。それを僕は、『サトゥルヌスの子供たち』のなかで、老いたサトゥルヌスに束縛されない自由な後継者としてのヌールという人物に寓意化しようとしています。この芝居では、息子たちは父親とうまくいっていません。堂々巡りの世界において、彼らの関係は非常に困難なものとなり、他者を受け入れることができなくなっています。基本的には、僕はいつでも希望はあると信じています。第一に、ある人からほかの人へとそそぐ光を妨げるものは何もないからです。その次に、若さを信じなければならないからです。人は、光や若さをゆがめてしまうことはあるかもしれませんが、それを望むことは妨げられないのです。父は、息子が自分の場所を勝ち取ることを妨げないでしょう。僕らが6月に主催する、若い劇団のためのフェスティバルのタイトルは”待ちきれない”っていうんですよ!
(Catherine Robertによって記録された)
インタビューを発見したので翻訳してみる。
相も変わらず抽象的で、とりとめがなく、論理的なのか適当なのかわからない発言だけれども、なぜか苦笑してしまい、人に元気をくれるのがこの人のいいところだと思う。
彼のジョーカー、『サトゥルヌスの子供たち』は果たしてどこまで連れていってくれるんだろうか?
インタビュー:オリビエ・ピィ
《複数の自分をもつシーズン》オリヴィエ・ピィがオデオン座のトップに就任して三期目にはいり、オデオン座を演劇の首都に変えていくなかで、ディレクターとして、また詩人として、多様な提案とクリエーションを続けている。
La Terrace (T): 『テーバイの七将』の成功に支えられて、劇場外での公演を続けるわけですね。
Olivier Py (O.P.): 『テーバイの七将』は、本当に小さなものであって、ひとつの試み、ひとつの仮定でした。どこででも上演できるように、ものすごく軽い劇が必要だったんです。しかしまた、野望としては大きな作品であるのと同じくらい、財政的には小さく済む計画が必要だったと言えます。この実験的な冒険において、僕はアイスキュロスの全作品を演出したいと思ってるんです。初めの一歩があまりに熱烈で感動的だったので、続けるしかなかったんですね。これは、アイスキュロスの中に芸術表現の対象を見出したという社会文化的な計画ではありません。むしろまったくの逆でして、このことこそが計画を成功に導いたのです。
T : オデオン座に来て以来、あなたと観衆との関係はどう変わりましたか?
O.P. : 僕は、脱中央集権化のなかで学んだものと共にやって来たのです。国民教育省や組合との関係を再活性化しなければなりませんでした。また、僕らは出版社やINA [フランス国立視聴覚研究所] との結びつきも広げました。割引料金を奨励するような価格形態も設定し、それによってこの劇場が単に消費の場ではなく、講演会や討論のある市民生活の場となるようにしています。僕は、オデオン座が本当に自己を、互いを再発見するような場であってほしいんです。アトリエ・ベルティエに関して言えば、あの界隈で唯一の文化発信の拠点であるわけですが、ここでも上演の時間外にさまざまな活動を繰り広げていくつもりです。
T : 2009-2010年のシーズンは、何らかのテーマをめぐって構成されているのですか?
O.P. : テーマごとのシーズンという考え方はいつもものごとを単純化してしまいます。それはともかく、劇場というのはひとつのスポンジで、世界の議論を吸いこむものなのです。この観点からすると、政治的な問題が今シーズン至る所に張り巡らされていると言えます。まるで今年は、世界という意識がより一層高まっているかのように。しかし極めて重要で、中心にあるのはヨーロッパ的な計画で、ディミトリス・ディミトリアディスという主要だけれども知られていない、この偉大な作家をめぐって構成されています。
僕はひとつのシーズンが、たとえば古典的な形態、規律を乱すような形態、古いものや新しいもの、ヨーロッパの作品やフランスの作品を織り交ぜた多様性に特徴づけられるようなものであるように願っているんです。
T: 今シーズンは『サトゥルヌスの子供たち』で幕をあけますね。この新作についてはどうですか?
O.P. : これは僕の呪われた芝居です。人は時として、自分自身のもっとも黒い部分に近づくことがあるものです。僕は、『イリュージョン・コミック』という喜劇から脱しました。もう笑いには耐えられなかった。
『サトゥルヌスの子供たち』は、今日のフランスにおける偶像の凋落に言及しています。この芝居はひとつの文明の死を語るのです。僕はいくつかのフランス的日常が失われていくことに、強い衝撃を受けました。それらは政治とのある関わりの消滅や、僕自身が傷つきながらも歩んできた文学というものの上に成り立つ世界の消滅を表す、時代の象徴のように思われました。このテクストは難解で、不快で、乱暴で、終末的な芝居と言えますが、陰鬱でありながらも絶望しているわけではありません。
T : それほどの暗さのなかで、希望はどこにあるのでしょうか?
O.P. : すべての惨事において、何かしら明らかになってくるものです。僕は思うのですが、ヨーロッパの未来はそのようにして、南北の対話の中にあるのです。それを僕は、『サトゥルヌスの子供たち』のなかで、老いたサトゥルヌスに束縛されない自由な後継者としてのヌールという人物に寓意化しようとしています。この芝居では、息子たちは父親とうまくいっていません。堂々巡りの世界において、彼らの関係は非常に困難なものとなり、他者を受け入れることができなくなっています。基本的には、僕はいつでも希望はあると信じています。第一に、ある人からほかの人へとそそぐ光を妨げるものは何もないからです。その次に、若さを信じなければならないからです。人は、光や若さをゆがめてしまうことはあるかもしれませんが、それを望むことは妨げられないのです。父は、息子が自分の場所を勝ち取ることを妨げないでしょう。僕らが6月に主催する、若い劇団のためのフェスティバルのタイトルは”待ちきれない”っていうんですよ!
(Catherine Robertによって記録された)
2009/08/21
皮膚感覚という信仰
ここひと月ばかりの間に、幾人かの知人と力強い握手を交わした。
別れ際のことだ。
いま、この瞬間が最後だという気がしてしまう。
相手がどう考えていようとも、こちらはなぜか常に「最後にはしないぞ」という姿勢で手を差し出しているにもかかわらず、一期一会の文字を思う。
言い方を変えれば、それでもいいんだ、という気がする瞬間である。
半泣き状態の心境でありながら、なにか確信のようなものを得た心持ちになっていることが多い。
そう、どこかで嬉しいのである。
だから泣けない。
先日、友人に誘われて青山でやっているDialogue in the darkというイベントに参加してきた。
完全な暗闇の中を、視覚障害を持つ案内人と共に散策する、というものである。
1989年にドイツで考案されて以来、ヨーロッパ各国で実施されてきたという催し。
どうやっているのか分からないが、どんなに眼を慣らしても、凝らしても、ひとかけらの光=なにがしかの影、も見えない。
自分が自分を認識できないような闇の中を7人の会ったばかりの人とグループになって歩く。
普段から暗闇がこわい、と思っていた人は、震えるくらい不安になる。
これは経験してみないことには分からないが、ふつうの人も一瞬パニックに陥る。
「声を掛け合って互いの位置を確認し合ってください」
こういう指示が最初から出ていたが、言われずとも声を出していないと、自分がいないようで非常に不安になるので、しゃべりまくる。
独り言も多くなる。が、暗闇はなぜか澄み切ったように静かなので、みんなの独り言がみんなに聞こえてしまう、という状態になる。
案内人の声に従って、(見え)ない橋をわたり、(見え)ないスイカを触り、(見え)ないベンチに腰掛ける。
近くにいると思しき同行者の手をひいて、「ここ」にスイカがあるということを触覚をもって教え合う。
「ここ」がどこなのか、「これ」がスイカなのか、そこにあるのかないのか、触れなければ分からないのだ。(「そこ」という言葉は発される意味すらない)
声を発さない物体は、触れなければ、存在しないということになる。
「触らぬ壁に語りなし」とはよく言ったものである。
視覚障害をもつ案内人は、頼れるものは「音」だと言った。
距離を測るのは音/声しかない。
しかし、眼が見えているはずの者にとって、最も頼れるものは触覚だったと思う。
傲慢であるとも、情けないとも思ってしまうのだが、触ると、「見える」気がするのだ。
暗闇にはいる前に見た、会ったばかりの人たちの姿かたち。
自分が見たことのあるような、触れたことのあるような仕方で想像されるベンチ、テーブル、グラス。
不思議なことにそこには色もついている。
触覚が「見える記憶」を喚起しているようである。
そうして、見えないイメージが眼前に結ばれると、言いようのない幸せな気持ちになる。
それがおそらく実際には違う姿であるとしても、だ。
いや、実際の姿を知らないゆえに想像の可視的世界に遊べる、というのだろうか。
このとき、声は確かに存在を示してくれたけれども、声は距離を埋めてくれない。
自分から離れて誰かがいる、ということを示してくれるのみで、完全に自分に存在を知覚させてくれはしないのだ。
一時間の暗闇散策を終えたころには、恐怖もどこへやら、見える世界が色褪せていた。
名前で呼び合ったグループの人々も、互いに姿を見られまいと(そういう感じがした)、そそくさと帰ってゆく。
暗闇のなかでは、運命共同体的なグループの結束まで感じられてしまったから不思議だ。
見えない、という状況において、演劇のひとつの理想である共同体が生まれてしまったようで、皮肉である。
誰も演じてないし、誰も見えていなかったけれど、なにか同じものを見ている感覚があったのではないだろうか。
要するに、同じものを見ていなくとも、同じ経験をしている瞬間、共同体はあるのではないだろうか。
演劇théâtreの語源と言われるtheatronとは、ギリシア語で「見る場所」であって、論文を読んでいるとしょっちゅう引き合いに出されて、まるでそれが「演劇=見る」という動かぬ証拠であるかのようなのだが、この「見る」はひとつの「経験」として考えられるべきで、具体的な対象を求めてはいけないのかもしれない。
フロイトによれば、「視覚的な印象は、分析の背後で、触覚的印象へと連れ戻されうる」という。
精神的レヴェルにおいて、「見る」は「触れる」につながっているのだ。
ものすごく面白い芝居を見たとき、離れた席にいても、間近で見たように記憶していることがある。
逆に、ものすごく狭い劇場で、至近距離で俳優を眺めていても、まるで遠い出来事のように思えることがある。(先日のAPOCシアターでのラガルス『ただ世界の終り』なんかは好例である。)
どれだけたくさんの言葉を駆使しても、どれだけ飽き足らず顔を眺めていても、触れることに敵う存在感はない。
実際の生活では、手を握ってしまえば心のうちが見えてしまう。気がする。
本当には理解できていないのだろうが、それでも納得できてしまうのだ。
いろいろな感情がふってくるのだが、それでいい、と思える。
一般的な演劇では、触れることができない。
よく観客に触りたがる芝居はあるが、触っちゃったら終わりだろう、と思う。
触れられるならフィクションは必要ないからだ。
見ることで触れさせてくれるような芝居に、今後もっと出会えることを願うばかり。
そういえば、握手してくれた方々はすべて演劇人であった。
触れてはならない身体とつき合っている人々の握手は固い。
しかと受け取りました。
別れ際のことだ。
いま、この瞬間が最後だという気がしてしまう。
相手がどう考えていようとも、こちらはなぜか常に「最後にはしないぞ」という姿勢で手を差し出しているにもかかわらず、一期一会の文字を思う。
言い方を変えれば、それでもいいんだ、という気がする瞬間である。
半泣き状態の心境でありながら、なにか確信のようなものを得た心持ちになっていることが多い。
そう、どこかで嬉しいのである。
だから泣けない。
先日、友人に誘われて青山でやっているDialogue in the darkというイベントに参加してきた。
完全な暗闇の中を、視覚障害を持つ案内人と共に散策する、というものである。
1989年にドイツで考案されて以来、ヨーロッパ各国で実施されてきたという催し。
どうやっているのか分からないが、どんなに眼を慣らしても、凝らしても、ひとかけらの光=なにがしかの影、も見えない。
自分が自分を認識できないような闇の中を7人の会ったばかりの人とグループになって歩く。
普段から暗闇がこわい、と思っていた人は、震えるくらい不安になる。
これは経験してみないことには分からないが、ふつうの人も一瞬パニックに陥る。
「声を掛け合って互いの位置を確認し合ってください」
こういう指示が最初から出ていたが、言われずとも声を出していないと、自分がいないようで非常に不安になるので、しゃべりまくる。
独り言も多くなる。が、暗闇はなぜか澄み切ったように静かなので、みんなの独り言がみんなに聞こえてしまう、という状態になる。
案内人の声に従って、(見え)ない橋をわたり、(見え)ないスイカを触り、(見え)ないベンチに腰掛ける。
近くにいると思しき同行者の手をひいて、「ここ」にスイカがあるということを触覚をもって教え合う。
「ここ」がどこなのか、「これ」がスイカなのか、そこにあるのかないのか、触れなければ分からないのだ。(「そこ」という言葉は発される意味すらない)
声を発さない物体は、触れなければ、存在しないということになる。
「触らぬ壁に語りなし」とはよく言ったものである。
視覚障害をもつ案内人は、頼れるものは「音」だと言った。
距離を測るのは音/声しかない。
しかし、眼が見えているはずの者にとって、最も頼れるものは触覚だったと思う。
傲慢であるとも、情けないとも思ってしまうのだが、触ると、「見える」気がするのだ。
暗闇にはいる前に見た、会ったばかりの人たちの姿かたち。
自分が見たことのあるような、触れたことのあるような仕方で想像されるベンチ、テーブル、グラス。
不思議なことにそこには色もついている。
触覚が「見える記憶」を喚起しているようである。
そうして、見えないイメージが眼前に結ばれると、言いようのない幸せな気持ちになる。
それがおそらく実際には違う姿であるとしても、だ。
いや、実際の姿を知らないゆえに想像の可視的世界に遊べる、というのだろうか。
このとき、声は確かに存在を示してくれたけれども、声は距離を埋めてくれない。
自分から離れて誰かがいる、ということを示してくれるのみで、完全に自分に存在を知覚させてくれはしないのだ。
一時間の暗闇散策を終えたころには、恐怖もどこへやら、見える世界が色褪せていた。
名前で呼び合ったグループの人々も、互いに姿を見られまいと(そういう感じがした)、そそくさと帰ってゆく。
暗闇のなかでは、運命共同体的なグループの結束まで感じられてしまったから不思議だ。
見えない、という状況において、演劇のひとつの理想である共同体が生まれてしまったようで、皮肉である。
誰も演じてないし、誰も見えていなかったけれど、なにか同じものを見ている感覚があったのではないだろうか。
要するに、同じものを見ていなくとも、同じ経験をしている瞬間、共同体はあるのではないだろうか。
演劇théâtreの語源と言われるtheatronとは、ギリシア語で「見る場所」であって、論文を読んでいるとしょっちゅう引き合いに出されて、まるでそれが「演劇=見る」という動かぬ証拠であるかのようなのだが、この「見る」はひとつの「経験」として考えられるべきで、具体的な対象を求めてはいけないのかもしれない。
フロイトによれば、「視覚的な印象は、分析の背後で、触覚的印象へと連れ戻されうる」という。
精神的レヴェルにおいて、「見る」は「触れる」につながっているのだ。
ものすごく面白い芝居を見たとき、離れた席にいても、間近で見たように記憶していることがある。
逆に、ものすごく狭い劇場で、至近距離で俳優を眺めていても、まるで遠い出来事のように思えることがある。(先日のAPOCシアターでのラガルス『ただ世界の終り』なんかは好例である。)
どれだけたくさんの言葉を駆使しても、どれだけ飽き足らず顔を眺めていても、触れることに敵う存在感はない。
実際の生活では、手を握ってしまえば心のうちが見えてしまう。気がする。
本当には理解できていないのだろうが、それでも納得できてしまうのだ。
いろいろな感情がふってくるのだが、それでいい、と思える。
一般的な演劇では、触れることができない。
よく観客に触りたがる芝居はあるが、触っちゃったら終わりだろう、と思う。
触れられるならフィクションは必要ないからだ。
見ることで触れさせてくれるような芝居に、今後もっと出会えることを願うばかり。
そういえば、握手してくれた方々はすべて演劇人であった。
触れてはならない身体とつき合っている人々の握手は固い。
しかと受け取りました。
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