2009/07/25

ぶらり音楽会

炎天下、世田谷美術館のヴァイオリン・リサイタルに行ってきた。
ヴァイオリンは斎藤咲恵、ピアノは原田恭子のプラハ音楽留学二人組。

世田谷美術館の無料コンサートは、前回痛い目にあったのだけれど、公園の緑を眺めつつぶらりと立ち寄って、ほのぼの音楽鑑賞できるというのが良い。
・・・と思っていたら、今回の腕前は段違いだった。
ヴァイオリンはチャリティ・コンサートどころでなく、ホールで十分通用する迫真の演奏で、ひさびさに鳥肌が立った。

プログラムは全てチェコの作曲家を集めてあり、ドヴォルジャーク以外は初めてだったので新鮮。

Jan Ladislav Dusik(1760-1812):Sonata op.69, no.1
リスト・ショパン・スメタナなどロマン派の先駆者で、古典とロマン派の中間にあるピアノ奏者兼作曲家。
曲は古典らしい明るさと、チェコの民俗音楽の要素が散りばめられている。
ソナタ第三楽章のロンドでは、明るく軽快なポルカのリズムを刻む斎藤さんの微笑のうかんだ顔を見てるだけでウキウキしてくる。
リズム感覚が鋭く、難しい部分をこそ楽しんでいる様子が伝わってきてすっかり乗ってしまう。

Bohuslav Martinu(1890-1959):Sonata pro housle a klavir no.3
チェコとパリで音楽を学び、その後アメリカに移住、著名なチェコ人の例にもれず故郷に帰ることのできなかった一人。
作曲は、やはり!と思わされたが、ドビュッシーに憧れて渡ったパリで、ルーセルやフランス六人組、ストラヴィンスキーの影響を受けているようだ。
無調な感じといい、夜を思わせる神秘的な雰囲気といい、なにしろ印象主義っぽい。
すぐにCDを探したくなる久々のヒットだが、生演奏ゆえのパフォーマンスが重要な曲ともいえる。

ヴァイオリンとピアノの激しい対話が続く第一楽章のあと、第二楽章に現れるチェコの憂愁のメロディが夢のなかで辿り着いた故郷、という感じがして心を揺さぶられる。
留学中にこんなの聞いたら泣いてしまうだろう。
ピアノとヴァイオリンの一騎打ち、とでも言えるような鋭い掛け合いを演じる二人を見ながら、チェコでの音楽留学生活の密度を想像してしまう。

ヴァイオリンの斎藤さんは、オーストリアでのボフスラフ・マルチヌーコンクールで3位入賞、イタリアのアルスノヴァ国際音楽コンクールで優勝、と実力派らしいが、世田谷美術館の無料コンサートにだって一ミリも手を抜いていないのが分かる。
配布された曲目解説も入念に聴きどころが紹介され、近所のおばちゃんや野球帽のおじちゃん相手に真摯に、かつプロのプライドを持って向き合っている。

Antonin Dvorak(1841-1904): Sonatina op.100/Romance op.11
ロマンス作品11のピアノがオルゴールのようで素敵。
この曲は、弦楽四重奏第5番へ短調、op.9、B.37の第二楽章をもとにヴァイオリンとピアノ伴奏用に編曲された。
ドヴォルジャークが結婚前にアンナ・チェルマーコヴァーへの恋心を歌ったものらしく、繊細な動きと情感あふれるメロディが印象的。
斎藤さんはトリルや装飾音をものすごく正確に美しく弾くが、意外にロマン主義的な陶酔感で歌うことは少ない。きりっと冷静なのだ。

Otakar Sevcik(1852-1934): 1. Holka modrooka z Ceskych tancu a napevu
(オタカル・シェフチーク:チェコの踊りと民謡より 第一番”青い目の少女”)
プラハ音楽院の伝説的教師、その教則本はヴァイオリン奏者必携、らしい。
ヴァイオリン未学習者には、どうなっているのかさっぱり分からないような超絶技巧が散りばめられた曲。
楽器のあらゆる可能性を試されている、という事実だけは、はっきり分かる。
そして奏者がかなりの技術の持ち主だということも感じられる。
ピチカート好きとしては実に楽しい逸品だが、分からないなりにもフラジオレットなどは聞いていてハラハラするので、ちょっと心臓に悪い一品でもある。

日本では難解な曲はコンサートで演奏しても客が集まらないという事情があるらしく、どうしても誰もが知っている曲を聴くことになる場合が多い。
そんな中、新たな発見をくれたチェコ一色コンサートはなかなか貴重かもしれない。
室内楽用の平坦なホールで距離感がないのも好もしい。

地域のコンサートは、7月あたまに成城ホールでしっかりお金を払って聴いたギター×ヴィオラ×フルートの演奏のようにフワフワーっとなんとなく「地域住民とともに良い休日を過ごした感」を与えてくれるものかと思っていた。
が、こんなに気合の入ったものを聴かせてもらえる時だってあるのだ。
いつでも本気でいなくちゃ駄目なのだ。

2009/07/17

プロペラ

一週間以上前になってしまったが、8日は東京芸術劇場でプロペラを観た。
野田秀樹の芸術監督就任の記念公演第一弾。
演目はシェイクスピア『夏の夜の夢』。
演出はエドワード・ホールで、15年来の野田の友人だという。

男ばかりの劇団で、ワイワイ・ガヤガヤ踊りながら古典の読みなおしを図る・・・
そういう触れ込みだったと思うのだが、意外や意外、とってもお上品な仕上がり。
むさ苦しい体つきの男性陣もいるけれど、パック役・タイターニア役の彼らは綺麗な足をしていて、それなりに可愛らしい。

しかし上品なのは、そういった見かけとは恐らく関係ない。

まず、効果音が生であること。
要所々々で、全員が小さなハーモニカをくわえて吹きながら移動する。
いろんな音階を大人数で一度に吹くので、ざーっと風が通り過ぎたような感じになる。
音って空気だなあと思う。
もうひとつ、舞台装置の奥、左右にグロッケンシュピールが配置されていて、何人かの俳優がこっそり簡単なメロディを奏でたり、「魔法が解けました」と言わんばかりに、チロリーン、と鳴らしたりする。
これは非常に爽やか。
おとぎの国の雰囲気が漂ってくる。
合唱の部分もあるが、誰もつぶれたような声を出したりしないので快適。

もうひとつは、動きがしなやかであること。むやみにバタバタ動かない。
びっくり箱のようなものからパックのしましまタイツが出てきて、ひょっこり登場する様子なんか、音もたてずにやってのけて、さすが妖精、という具合だ。
ひとりひとりの演技レベルが高いのだろう。

・・・
・・・
・・・でも、

でも、それしか覚えていない。

2階席で遠かったのがいけなかったのかもしれない。
芝居がかった同時通訳をたまに聞いてしまっていたからかもしれない。
あるいは上手にできすぎていて、粗忽者は妖精の国に入れてもらえなかったのかもしれない。
はたまた、英語のリスニング能力が低すぎたのか。

ものすごく遠ーい出来事なのだ。

ひとつだけ分かる理由は、丁寧さ・こまやかさの素晴らしさ(ほんとうに素晴らしいと思う)と引き換えに、テンポが遅いからだということ。
面白いことを言っているのに、間があきすぎていて、笑うタイミングがつかめない。
英語を聞かずに、イヤホンの通訳に聞き入っている観客が3分の2ほどいるから、すっかりタイミングもずれて、なおさら誰も笑わない。
これは悲しい。

他にも理由はあるかもしれないが、舞台と客席の間にあそこまで厚い壁がある『夏の夜の夢』というのも不思議だ。
パリのアトリエ・ベルティエでの公演なんかは観客に混ざりたくて仕方がない、という演出だった。

いつかもう一度、本拠地ウォーターミル劇場で観てみたい。
絶対に、どこか違った高揚を感じられるはずだ。